時差ボケ。
- 2014.10.28 Tuesday
- 23:59
所属している合唱団の
海外コンサートのメンバーとして選ばれ
10/11から 12日間ほど
イスラエルに行ってきました。
クリスチャンにとっては
憧れの
イスラエル 。
受胎告知大聖堂の祭壇
初日と最終日は移動だけなので
10日間の滞在でした。
聖ヨセフ教会内の
イエス様がヨセフ様 マリア様と
暮らしていたという洞窟
途中何度か
コンサートも行いましたが
聖書ゆかりの地に
行くことができたことは
ガリラヤ湖!! 本当にきれいでした。
大きな収穫でした。
ガリラヤ湖畔にあるレストランで食べた
聖ペトロの魚
ペトロの首位権の教会
コンサートをしながら
巡礼もして…と
とても忙しかったのですが
イスラエルのお金
シェケル
体調を崩す事無く
また、少し前まであった
ガザとの紛争による混乱も
全く感じる事無く
向こうに見えるのがエルサレム!
それによって
かえって巡礼地は空いていて
(これも紛争による混乱と言える?)
こちらとしては
とてもラッキーでした。
主 嘆き給う教会
ゲッセマネの園にある
樹齢2000年の
オリーブの木。
あの晩の出来事を
見ていたかもしれない…。
各地に残されている
イエス・キリスト時代の遺跡を訪れると
ドロローサ(キリストが十字架を背負って歩いた道)
の途中にある教会。
天井にいばらの冠が…
『されこうべ』という意味の
ゴルゴタの丘。
キリストが十字架にかけられたと言われている場所。
まるで、タイムスリップしたように
聖書の物語が
浮かび上がってきます。
ホロコースト記念館
ユダヤ人の子どもたちを守った
コルチャック先生の彫刻。
ホロコースト記念館や
泣き壁にも行って
泣き壁。
柵の右側が女性のエリア。
戦争の恐ろしさ
ホロコーストの地獄絵図を見て
また、泣き壁の前で
長い時間、熱心に祈ってる人たちを見て
長い長い時間、体をゆらしながら
熱心に祈る女性。
世界に平和が来ますように!
と
私も祈らずには おれませんでした。
星一つが100万。
600万のホロコーストの犠牲者を
忘れない… という意味だそう…。
泣き壁の左側の建物の上にあります。
22日に無事に帰宅。
で、それから始まった
私のプチ地獄。
まずは、仕事。
私の職場では
勤続30年になると
ご褒美に長い休みがもらえる… という
制度があって
それを利用しての
今回の イスラエル行きだった訳ですが
仕事が減る 訳ではありません。
旅行の前と後ろに
ギューーーーーーーッと仕事を寄せて
関係する皆様に
深く深く頭を下げ
感謝して
行って来た訳なので
戻ってからの仕事量が
ハンパありません。
イスラエルは 乾燥したところなので
肌荒れに注意。
と言われていたのですが
食べ物が体に合っていたせいか
(超フレッシュな野菜と果物 お魚が中心)
何だかお肌スベスベ。
肌荒れに悩まされることは
なかったのですが
大韓航空の機内食
友人が選んだビビンバ
私はこっち。
最初の晩、ホテルに用意されていた
軽食。
オリーブが美味!!
宿泊したところどこも ビュッフェ方式
ホテルの朝食
水は硬水なので
合わない人は他の飲み物を。
ユースホステルの朝食
イスラエルのアイス! とシェケル
最終日にエルサレムで食べた
ピタ。
とってもボリューミー。
(どうやって食べたらいいかわからず
持参していたMy箸で食べていると
道行く人が珍しそうに
見ていましたっけ)
帰って来てからむしろ
食事が 偏りがちになって
あまりにも 忙しいせいもあり
今、かっさかさの状態です。
そして、もう一つの
プチ地獄は
時差ボケです…。
帰って来てすぐは
『たいした事無いかな。』と
思っていたのですが
そんな 甘いものではありませんでした。
イスラエルとの時差は
−6時間なので
朝と昼が逆… ということはないですが
今でも、日中変な時間に
モーレツに眠くなったり
夜、11時頃
寝ようとしても
ちょっと寝つけない。
しかも、3時くらいに
目が覚めて 冴えて来ちゃう…
お仕事で海外へよく行く
知人の方がおっしゃるに
よく言われているのは
時差ボケが治るのには
滞在期間と同じ日数がかかる
ということらしく…。
この状態は
来月のはじめまで
続く… ということらしいのです。
あ〜 つらい
でも、素晴らしい経験でした。
もう一回 行きたいけれど…
いつになるか わかりません。
イスラエルに平和が続いて
いつでも行くことができるように…
と 祈る毎日です。
留守を守ってくれた
家族にも感謝。
忘れないでいてくれた
カブ、アシュリーにも
感謝です。
渡航中に LINE で送られて来た写真
なんか、すごーーく淋しそうに見えるのは
わたしだけ?
では
右上のリンクの欄に
里親募集のサイトが
たくさん貼付けてあります
飼いたくなったら
買う前にこちらを。
ラキングに参加しています
海外コンサートのメンバーとして選ばれ
10/11から 12日間ほど
イスラエルに行ってきました。
クリスチャンにとっては
憧れの
イスラエル 。
受胎告知大聖堂の祭壇
初日と最終日は移動だけなので
10日間の滞在でした。
聖ヨセフ教会内の
イエス様がヨセフ様 マリア様と
暮らしていたという洞窟
途中何度か
コンサートも行いましたが
聖書ゆかりの地に
行くことができたことは
ガリラヤ湖!! 本当にきれいでした。
大きな収穫でした。
ガリラヤ湖畔にあるレストランで食べた
聖ペトロの魚
ペトロの首位権の教会
コンサートをしながら
巡礼もして…と
とても忙しかったのですが
イスラエルのお金
シェケル
体調を崩す事無く
また、少し前まであった
ガザとの紛争による混乱も
全く感じる事無く
向こうに見えるのがエルサレム!
それによって
かえって巡礼地は空いていて
(これも紛争による混乱と言える?)
こちらとしては
とてもラッキーでした。
主 嘆き給う教会
ゲッセマネの園にある
樹齢2000年の
オリーブの木。
あの晩の出来事を
見ていたかもしれない…。
各地に残されている
イエス・キリスト時代の遺跡を訪れると
ドロローサ(キリストが十字架を背負って歩いた道)
の途中にある教会。
天井にいばらの冠が…
『されこうべ』という意味の
ゴルゴタの丘。
キリストが十字架にかけられたと言われている場所。
まるで、タイムスリップしたように
聖書の物語が
浮かび上がってきます。
ホロコースト記念館
ユダヤ人の子どもたちを守った
コルチャック先生の彫刻。
ホロコースト記念館や
泣き壁にも行って
泣き壁。
柵の右側が女性のエリア。
戦争の恐ろしさ
ホロコーストの地獄絵図を見て
また、泣き壁の前で
長い時間、熱心に祈ってる人たちを見て
長い長い時間、体をゆらしながら
熱心に祈る女性。
世界に平和が来ますように!
と
私も祈らずには おれませんでした。
星一つが100万。
600万のホロコーストの犠牲者を
忘れない… という意味だそう…。
泣き壁の左側の建物の上にあります。
22日に無事に帰宅。
で、それから始まった
私のプチ地獄。
まずは、仕事。
私の職場では
勤続30年になると
ご褒美に長い休みがもらえる… という
制度があって
それを利用しての
今回の イスラエル行きだった訳ですが
仕事が減る 訳ではありません。
旅行の前と後ろに
ギューーーーーーーッと仕事を寄せて
関係する皆様に
深く深く頭を下げ
感謝して
行って来た訳なので
戻ってからの仕事量が
ハンパありません。
イスラエルは 乾燥したところなので
肌荒れに注意。
と言われていたのですが
食べ物が体に合っていたせいか
(超フレッシュな野菜と果物 お魚が中心)
何だかお肌スベスベ。
肌荒れに悩まされることは
なかったのですが
大韓航空の機内食
友人が選んだビビンバ
私はこっち。
最初の晩、ホテルに用意されていた
軽食。
オリーブが美味!!
宿泊したところどこも ビュッフェ方式
ホテルの朝食
水は硬水なので
合わない人は他の飲み物を。
ユースホステルの朝食
イスラエルのアイス! とシェケル
最終日にエルサレムで食べた
ピタ。
とってもボリューミー。
(どうやって食べたらいいかわからず
持参していたMy箸で食べていると
道行く人が珍しそうに
見ていましたっけ)
帰って来てからむしろ
食事が 偏りがちになって
あまりにも 忙しいせいもあり
今、かっさかさの状態です。
そして、もう一つの
プチ地獄は
時差ボケです…。
帰って来てすぐは
『たいした事無いかな。』と
思っていたのですが
そんな 甘いものではありませんでした。
イスラエルとの時差は
−6時間なので
朝と昼が逆… ということはないですが
今でも、日中変な時間に
モーレツに眠くなったり
夜、11時頃
寝ようとしても
ちょっと寝つけない。
しかも、3時くらいに
目が覚めて 冴えて来ちゃう…
お仕事で海外へよく行く
知人の方がおっしゃるに
よく言われているのは
時差ボケが治るのには
滞在期間と同じ日数がかかる
ということらしく…。
この状態は
来月のはじめまで
続く… ということらしいのです。
あ〜 つらい
でも、素晴らしい経験でした。
もう一回 行きたいけれど…
いつになるか わかりません。
イスラエルに平和が続いて
いつでも行くことができるように…
と 祈る毎日です。
留守を守ってくれた
家族にも感謝。
忘れないでいてくれた
カブ、アシュリーにも
感謝です。
渡航中に LINE で送られて来た写真
なんか、すごーーく淋しそうに見えるのは
わたしだけ?
では
右上のリンクの欄に
里親募集のサイトが
たくさん貼付けてあります
飼いたくなったら
買う前にこちらを。
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